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福岡高等裁判所 昭和26年(上)11号 判決

上告人 被告人 坂下繁

弁護人 重永義栄

検察官 長富久関与

主文

本件上告を棄却する。

理由

本件上告の趣意は記録に編綴されている弁護人重永義栄提出の上告趣意書記載の通りであるから茲に之を引用する。

第一、憲法違反の論旨について。

然れども国民が国家の課税権を侵害し国庫に損害を与え、又は与えんとする場合に於て過去及び将来に亘る国家の租税権を確保し公共の福祉を維持するために此等の行為を法定の要件の下に犯罪とし以てこの種の行為の予防及び鎮圧を図ることは、国家の自存上当然許容されなければならぬ事柄である。

入場税法の逋脱犯も亦此の理によるものであつて、同法第十七条ノ三の法人又は人は事業の経営者で唯一の納税徴収義務者であるから自己の従業者等が不正行為によつて自己の負担する入場税を逋脱しないよう、其等の者を十分に注意監督すべき法律上の義務あるものと解せられる。此の事は民法第七百十五条の精神からも正に首肯し得べきことなのである。従つて事業の経営者である法人又は人が、自己の従業者等の違反行為に対して処罰を受けるゆえんのものは、とりも直さず自己が負担したる右法律上の義務違反に対して科せられる不作為による犯罪であつて一種の責任罰と解し得るのである。若しそれ、所論の如く斯る責任罰を無効とせんか、公共の福祉に反し国家社会に及ぼす悪影響の如何に大なるかは多言を要しないところである。それ故憲法第十二条第十三条も公共の福祉に反する場合に於ては生命自由及び財産に対する国民の基本的人権もこれを制限乃至剥奪し得べきことを予期しているのである。されば入場税法第十七条ノ三の法人又は人は自己の行為(不作為)を原因として処罰を受くるものであり、同条は前記のように憲法の精神に違反するものでもないから論旨はこれを採用しない。

第二、公訴提起の違法に関する論旨について。

然れども入場税法第十七条ノ三の規定は所論のように行為者を先づ第一に起訴しなければならぬとの見解は同条の文理又は精神解釈によるもこれを肯認し得ないところであり、行為者事業主のいづれを起訴するか、又は起訴しないかは全く検察官の裁量に委せられており、何人もこれに干渉し得ない性質のものである(旧刑訴法第二七九条)。所論は畢竟犯罪の存否と起訴の当否とを混同するものと言わねばならぬ。従つて本件公訴の提起には所論のような違法は毫も存しないので右論旨は理由がない。

第三、入場税法第十六条不適用に関する論旨について。

原判決を調査するに同判決中には明らかに入場税法第十六条を適用した旨の記載があるので、右論旨も亦これを採用しない。

第四、量刑不当の論旨について。

右論旨は、日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律第十三条第二項により旧刑事訴訟法第四百十二条乃至第四百十四条の規定が適用されない本件に於ては上告理由となし得ないこと言を俟たない。従つて、右論旨は採用するに由ない。

そこで旧刑事訴訟法第四百四十六条に則り本件上告を棄却することとし、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 筒井義彦 裁判官 川井立夫 裁判官 桜木繁次)

弁護人重永義栄の上告趣意

第一点原判決は、被告人が経営していた映画館紫映館に於ける映画演芸の催物に関し、その使用人である石崎行夫が入場税を逋脱した事実を認定し、当時の入場税法第十七条の三により、右石崎行夫の使用主たる被告人に対し、罰金刑を科したのであります。固より右入場税逋脱の事実認定に争いはないのですが、前記犯行当時の入場税法第十七条の三には問題があると思います。

同条の規定には「(前略)行為者ヲ罰スルノ外云々」とありますが、申す迄もなく受刑の主体は犯罪の主体であらねばならない事は今日の刑法上の原則たるのみならず、犯罪行為を為さない限り、処罰は受けないというのは憲法の保障する基本的人権の一つであり、之に反する右入場税法第十七条の三は憲法違反の甚しきものと申すべく、之を適用して行為者外の被告人を処罰した原判決は破毀を免れないものと信じます。

第二点仮りに前記入場税法第十七条の三が違憲にあらずとするも、同条の規定は前記の通り「行為者ヲ罰スルノ外云々」とありて、「行為者ヲ罰スルニ代ヘテ」とも、又は「行為者、使用主ノ一方ヲ」とも規定されていないのであります。之を沿革に徴すれば、本件の如き、学者の謂わゆる脱税犯の多くは一定の業務主体又は其の法定代理人が従業者に於て其の業務に関して為したる違反行為につき責任を負うものと規定され、行為者たる従業者自体の責任如何に就ては議論の存するところでしたが、判例は之を消極に決し(明治三十九年八月二十八日大審院判決)、行為者たる従業者を罰すべきでないとの趣旨を明かにし、恰も「行為者ヲ罰スルニ代ヘテ」使用主、法定代理人等を罰するの観を呈していたのであります。けれどもこれは前記、受刑の主体は犯罪の主体たらざるべからずとする刑法の原則に反するので、その後の脱税犯に関する立法では、「行為者ヲ罰スルノ外云々」との規定を見るに至り、犯罪の主体たる行為者の処罰を建前とし、従前の規定に比し百八十度の転換を示して其の非を改め、以て刑法の原則に合致せしむべく庶幾したのであります。ただ謂わゆる脱税犯の処罰は納税の逋脱による国庫の損失を防止するのが目的であり実質的には損害の賠償とも見るべき特質を有する所から、従前の規定は此の賠償取立の便宜のみに着目して犯罪の主体たらざる業務主体を処罰して刑法の原則に悖るの非違を敢てしたことに気付き、近来の立法は犯罪主体たる行為者の処罰を建前とし、これによつて脱税犯処罰の目的=賠償取立=が達成せらるれば、それを以て足れりとなし、然らざる場合は第二次的に業務主体に罰金を科し、以て賠償取立の満足を期する為め謂わゆる両罰主義に転じたもので「行為者ヲ罰スルノ外」の法意はここに在りと信じます。此の事は脱税犯の特質、立法の沿革、刑法の原則等に照らして思い半ばに過ぎるものがあろうと存ずるのであります。以上の見解にして謬りなくんば、今本件の場合、前記入場税法第十七条の三により、使用主たる被告人を訴追するには、行為者たる石崎行夫の訴追が先行要件でなくてはなるまいと思います。然るに本件の公訴事実に関して石崎が訴追された形迹もなく、又その証明もありません、「行為者ニ代ヘテ」、又は「行為者、使用主中ヨリ択一シテ」被告人のみを訴追する選択権は検事に与えられてなく此の事は当時の刑事訴訟法第二百七十九条を以て律すべき問題でもないと思います。従つて本件の公訴は違法であり、該公訴の受理は不法と申すべく、原判決は破毀を免れないものと信じます。

第三点、原判決は其の主文に於て、被告人を別表第一の罪につき罰金二十四万七千八円五十銭に 別表第二の一の罪につき罰金二十七万六千九百十六円に 同 二の罪につき罰金十一万八千七百二十二円に 同 三の罪につき罰金三十二万九千九百十六円に 同 四の罪につき罰金三十七万八千五十七円に 同 五の罪につき罰金二十四万十五円に処したものであります。(ここには別表の記載を略します。)而して右罰金額は何れも逋脱税金額の五倍に相当し、これは前記犯行当時の入場税法第十六条の第一項に準拠せるものと思われますが、原判決には「前記犯行当時の入場税法第十七条の三により各本条の罰金刑を科することとし」とのみありて右第十六条が適用されて居りません。此の点原判決は法令を適用せざる違法あり、破毀を免れないものと信じます。

第四点、仮りに被告人の処罰は免れないものとしても、原判決は刑の量定甚しく不当なりと思料すべき顕著なる事由ありと信じます。即ち第三点記載、被告人に科せられた罰金は逋脱税金の五倍に当り、其の額合計金百五十九万円を超ゆるのであります。抑も本件の税金逋脱は被告人の使用人たる石崎行夫の為せる犯行であつて、被告人は全然与り知らない所であり、而も被告人はその為に映画館は人手に取られて生活困難に陷り、一家路頭に迷はん計りの窮状に在り、之に反して石崎は不相当な生活を営み、其の上脱税の罪を雇主たる被告人に転稼せしむべく密告まで為して被告人を陷れんとし、世人の指弾を受けたのであります。これ等は総べて記録上明白な事実であり、被告人に対しては真に憐れむべき気の毒な事件なのであります。之に対して逋脱額五倍の罰金を科するのは過酷の譏りなきを得るでありましようか。或は本件に就ては前記犯行当時の入場税法第十七条の二により、刑法総則の刑の減免、酌量減軽等に関する規定が適用されないことになつて居るから、如何に憫諒すべき事案であつても止むを得ないのである。即ち本件の如き脱税犯に対する処罰は、法律上直接に数学的に規定されて居り、裁判官はたゞ其の脱税高を認定する権限しかなく、量刑の権限は全然有しない。脱税高の認定あれば罰金高は当然数学的に定まり、動機の善悪や、犯情の如何によつて刑の軽重を裁量する余地は全く存しないのであるとの説があるかも知れませんが、本件の場合はそれに当るまいと思います。試みに右入場税法第十七条の二を精査しますれば、「前条ノ罪ヲ犯シタル者ニハ云々」とありて、右刑法総則の適用から除外されるのは、「前条ノ罪ヲ犯シタル者」即ち行為者に限らるること正文上明白であります。之を次条の第十七条の三に徴しても、行為者と其の他とは判然区別されて居ります。「其ノ法人又ハ人」をも前条の「罪ヲ犯シタル者」の中に包含せしめない限り、前掲の説は成り立たないのであり、之を包含するものとしての立論であるとせば裁判官の量刑権を不当に制限する以外の何物でもなかろうと思います。

要するに原判決の科刑は重きに失し、破毀さるべきものと信じます。

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